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大信寺

だいしんじ

〒953-0065新潟市西蒲区下和納301

TEL 0256-72-4603

『快楽山大信寺縁起』

 
下和納の庄屋が田の”水の開け閉め”を用いて民の首を切ったり叩いたりしていた。 それを現す「血取り場」という地名があった。 ある時、旅の僧が来て、とある家に昼食をとり、「この村は暗い村だ。血生臭い。」と言った。 これを聞いた人が庄屋に注進し、怒った庄屋は、旅僧を連れてこさせて土間に据え、前言の理由を問い、「首を打つ、首はないぞ。」と脅した。 僧は驚きもせず、「死ぬのはその人の運だから仕方ない。今死ぬも後で死ぬもみな運である。俺の胸にあたることを言ったのだ。」 死を恐れぬ度胸の良さに、肝を抜かれ、「でたらめな言葉ではないのか。それなら、どうしたら村が直るか。」と庄屋が問うた。 僧がこたえるに、「死んだ人の供養をやることだ。一番いいのは道場を建てることだ。寺が必要だ。」と。 庄屋が米1俵の礼を申し出たら、僧は、「米をもらいに来たのではない。修行をしているのだ。鉢に1つもらえばたくさんだ。」と、どこへともなく立ち去った。

天明五年(1785)、仏道に帰依した庄屋のはたらきかけにより、宝永年間(1704~1711)で植野にあったとされる道場が下和納に移される。下曲通村梵行寺門徒の鷲尾何某を住職に迎え、本堂とし、本山佛光寺二十三世随応上人のご勧章で一宇の寺となるのです。